こちらでは、先日鑑賞した映画「ベンジャミン・バトン数奇な人生」の感想を記しています。
若返るブラッドピットと老いるケイトブランシェットの愛情が交錯する人生は見応えがありました。
この映画が伝えたいことは何だったのでしょうか?
映画「ベンジャミン・バトン数奇な人生」を鑑賞しましたので筆者の観想をお伝えしますね!
映画「ベンジャミン・バトン数奇な人生」の観想
ベンジャミンバトンが80代の老人として生まれたことはその後、彼の考え方に大きな意味があったと思います。
ベンジャミンは施設で老人と過ごす中、彼らの最後の生き様を見ながら成長しました。
周りの老人たちは、最後に体力や気力が衰え、自分の人生に幕を下ろします。
その度に子供のベンジャミンは仲間を見送るようにお葬儀に出席するのでした。
出会いより、別れの方が多かった幼少期や少年期は、一般的な子供とは逆の環境でしたね。
これにより、ベンジャミンバトンは人生には限りがあることを体感しながら大人になったのです。
きっとベンジャミンは一日一日を大切に生きねばと悟りながら成長したことでしょう。
ベンジャミンにピアノを教えてくれた老女は、力を入れず、気楽にピアノを弾くことを教えてくれました。
ピアノを弾くことを楽しむことが大切だと、老女は人生経験の中で知ったのです。
普通に成長する中では考え及ばないことを、ベンジャミンは既に経験した人から聞きました。
だってベンジャミンは逆向きに育ったのですから。
映画で注目されるのは、デイジーとの出会いと二人の交錯する愛情です。
老人のベンジャミンと幼女デイジーが意気投合する出会い。
中年になったベンジャミンと美しく成長したデイジーが食事し会話を楽しむ場面。
ハンサムな青年に成長したベンジャミンと年頃のデイジーがお互いの気持ちを確認し結婚、女の子が生まれる幸せな時間。
どんどん若くなるベンジャミンを見て、落ち着いた中年のデイジーが「また若くなったわね」と寂し気にまじまじと顔を見つめるシーンが切なかったです。
この物語はどのように終わるのだろう?
永遠に若返るベンジャミンと普通に年を重ねるデイジーは、どうやって接点を見つけるのだろう?
その疑問は、意外な結末で答えが出ました。
ベンジャミンは、妻と娘を将来的に支えられないと悩み、出て行ってしまいましたが、デイジーの元に帰って来ました。
少年の姿で老いたのです。
ベンジャミンは老いて少年になり、記憶をなくしていました。
更に赤ん坊の姿になったベンジャミンをデイジーが腕に抱き、最期を看取ったのです。
人の人生は平等に限りがあるけど、人生の意味は人それぞれ。
どのように生きるかも人それぞれです。
デイジーが自分の腕の中でベンジャミンを看取ることができて本当に良かったな、と思えるラストでした。
以上、映画「ベンジャミン・バトン数奇な人生」の感想でした。
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