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安土城の所要時間は?安土城は何がすごいのか!私が訪ねた感想

お出かけ

「安土城跡」ここに天守閣があったのかな?

以前訪ねた時は、下から見上げて階段を上がるのを断念しましたが、今回は頂上まで登りました。

天主(天守閣)があった場所は信長の住んだ場所。

ここから琵琶湖がきれいに見えました。

織田信長は琵琶湖の水運を制して天下統一を果たすつもりだったのでしょう。

焼失してしまったのは残念でなりませんが、頂上まで登った時は言葉では説明できないほど充実した気持ちが湧きました。

達成感と満足感。

先日訪ねた「安土城跡」からの景色が素晴らしかったので備忘録として記したいと思います。

安土城の所要時間は?私が実際に上ると、、、

筆者たち一行は午後一番に到着し、1時間半で天守跡まで上って戻ってきました。

入場券を購入した時には45分で頂上まで上って戻ってこれる!と言われましたが、戻ってきたら90分以上経過していました。

全員、健康な50歳~60歳です(笑)

大手道は石の階段の一段一段の幅が広いので、普通の階段を上るより少し時間がかかりますよ。

この他に、天皇をお迎えした時に天皇を乗せた車が上がれるよう、幅が広くつくられた道があると聞いて驚きました。

織田信長は自分の城に天皇を招こうとしていたのですから、、、。

そして、頂上手前の本丸には京都御所の「清涼殿」に似た建物を建てたそうです。

信長の中で天皇に認められて天下統一する意識が強かったということなのでしょう。

入口の階段下には無料で借りられる杖がありますよ!

この杖が大変重宝しました、無かったら上れなかったかも~。

大手道を上がってすぐ右に、織田信長の菩提寺「そう見寺」が建っています。

筆者一行は運よく、不定期の特別拝観の日と重なり、座敷でお抹茶をいただくことが出来ました。

織田信長が天正10年の安土城築城の時にわざわざ他から移転させた菩提寺。

信長の安土城に対する意気込みが感じられます。

上りはまっすぐ階段を上がるのですが、下りは頂上からは山道を迂回するように下りて来るので、道幅が狭く歩き難かったです。

ただ、下りながら見下ろすのどかな田園風景が気持ちよく感じられました。

この田園地帯は当時は沼地で、舟で琵琶湖に通じていました。

天主に住んでいた信長公が眼下に見た景色は当時は一面が琵琶湖だったそうです。

現在の琵琶湖はもう少し遠くに見えました、地形が変わったんですね。

安土城は何がすごいのか?建てた人は織田信長!

安土城は織田信長が威信をかけて築城した城です。

日本初の木造高層建築。

安土城の特徴は「外観五重、内部は地上六階、地下一階、五階は八角形。」

それまでの城の築城と発想が全く違い、安土城は「近世城郭」のはじまりとなったそうです。

これ以降、江戸時代にかけて天守の建つ、石造りの近世城郭が築かれるようになりました。

また、安土城は信長の権力の象徴でもありました。

織田信長が天下統一するのは間違いないと誰もが思った矢先。

天下統一直前に「本能寺の変」で命を落とした織田信長の生涯を逆算した時!

この直前に居城として完成させた安土城は、まるで幻のように信長と共に消えてしまいました。

この安土城が傑作であり、その後の焼失の理由が謎に満ちているから余計に摩訶不思議なのかも知れませんね。

安土城築城が斬新であった為に、天下統一目前に倒れた織田信長の生涯をますます神秘に包んでしまった気がします。

安土城跡は、平成元年から20年計画で発掘が進んだばかり。

この先、安土城が復元されることはあるのでしょうか?

いつか復元されるといいな~という期待を込めて安土城跡に上りました。

安土城の概要:アクセス方法

【地図】

●住所:〒521-1311  滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
●見学時間:9時から16時
●アクセス方法
徒歩:安土駅より徒歩25分(ふもとまで)
車:名神高速道路竜王ICより20分(ふもとまで)

 

安土城跡の歴史

安土城は、織田信長が天下統一を目標に、天正4年(1576年)重臣の丹羽長秀に命じ、安土山に築城させた。
琵琶湖に囲まれ、京に近く、北陸と東海の要の地であった。
3年後に安土城が完成した。
天守閣を持つ城は我が国初めてであった。
完成の3年後、信長は本能寺の変で命を落とし、安土城は混乱の中、焼失した。
詳しい原因は分かっていない。

安土城天主 信長の館の感想

筆者たち一行は、安土城跡に見学して下山してから、「信長の館」へ移動しました。

見どころは、豪華絢爛な黄金の間の再現です。

加納永徳が描いた金碧障壁画が目をひきます。

またこちらでは、天主5階と6階が原寸大で復元、展示されています。

天界をイメージした天守閣は、仏教の世界観による理想郷が作られました。

天主は宇宙空間を表す8角形の広間。

当時は画期的なデザインだったに違いありません。

いえ、現在でも度肝を抜かれました!

VR安土城シアターの最終時間4時20分に間に合いました。

先ほど安土城跡を頂上まで上ったので、上映を見ながら、あの場所にこんな風に安土城が建っていたんだな~とイメージが確信できました。

つくづく焼失が残念に思える、立派なお城でしたね。

天皇を担ぐ車の幅を考慮して大手道の階段が広く作られたことに納得を覚えました。

天皇がいらっしゃることはありませんでしたが、信長公の構想と準備に感服しました。

そして、信長公が住んだ天主は、当時の城とは間取りが全く違いました。

復元された豪華絢爛な8角形の天守閣で、信長公が黒いマントを着てワイングラスを傾ける様子を想像するだけで、何とハイカラな武将だったことかと感動します。

まるでお伽噺に出てくるような方です。

その他に私が興味深く見学したのが、信長公が家康公をもてなしたお膳です。

織田木瓜(おだもっこう)の織田一族の家紋が器に映えていました。

御膳を用意したのは明智光秀ですが、この時の「鯛が腐っている」と言って光秀を罵倒したとして有名な、あのお膳です。

こんなに手の込んだご馳走を当時用意するのは大変だったことでしょう。

光秀の緻密な仕事をする人柄が忍ばれます。

私は、この料理は何だろう?「アワビの前菜かな?鯉の刺身、雉の串刺し、魚の甘露煮、鰻の焼き物、お饅頭まである!飾りはホウズキかな?」などと観察しながら、、、興味深く拝見しました。

陸や川から多種類の材料を用意するだけでも多くの物流網を持っていないと出来ませんよね。

味噌が上手に使われていました、さすが中部地方は赤味噌の本場ですからね!

信長公は本当にこの時、光秀を嫌っていたのでしょうか?

それとも、ただ単に虫の居所が悪かっただけなのでしょうか?

何にしてもこの後、織田信長は明智光秀の謀反により、命を落としました。

安土城跡を訪ねて まとめと感想

琵琶湖が見渡せるこの地に城を築いて天下統一まであと少し。

安土城という近代的で壮大な城を築いた信長の偉業が幻のように消えてしまったことが残念に思えました。

同時に、私が本で読んだ明智光秀は賢く常識があり、優れた武将だったと好感が持てました。

最近の大河ドラマでも光秀の印象はわるくありません。

私の小学校時代の社会科の先生が、織田信長と明智光秀の関係を話してくれたことを思い出しました。

もう、50年以上前の授業です。

「人には、好く、好かないがあるからどれだけ尽くしても気に入らないと思う気持ちはどうしようもないよ」と、先生は仰っていました。

戦国時代、こんなことはあちこちであったのかも知れませんが、、、人生は一度きり。

私は、できれば敵を作らず楽しく人生を終えたいものだと思うのは、平和な現代に生まれたからこそなのでしょうね。

幻の安土城跡、頑張って頂上まで登れて良かったなと感じています。

以上、
最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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