こちらでは、リディアターのモデルは実在するのかについてまとめています。
また、映画『TAR/ター』が実話なのか?気になっている方も多いことでしょう。
映画『TAR/ター』は、実話ではありませんがリディアターをイメージしたモデルがいますので、詳しく解説しますね!
この記事が、映画『TAR/ター』をより楽しむためのお役に立てれば嬉しいです。
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ケイト・ブランシェットの別の映画も見られますよ!
映画『TAR/ター』のリディアターは実話なのか!モデルは誰?
映画『TAR/ター』は、まるで伝記映画のようでしたが、「リディアター」にはモデルがいるのか?
気になって調べてみましたので解説します!
結論は、実話ではなく、モデルは実在しません。
しかし、ケイト・ブランシェットをイメージして脚本が書かれました。
トッド・フィールド監督が脚本を書く段階で、はじめは男性の主人公だったところ、女性の主人公に変更しました。
そのときケイト・ブランシェットをイメージして脚本を書きました。その後、映画の主人公をケイト・ブランシェットにオファーすると、彼女はこの脚本をとても気に入り、快く受けてくれたそうです。
※実話ではなく、具体的なモデルは実在しません。
「きっと、誰かモデルがいるに違いない!」と思ったのは私だけでしょうか?
まるで、伝記映画を観ているようだな、、、と彼女のカリスマ性に見惚れました。
そんな、美しいけどカッコいいリディア・ターをケイト・ブランシェットは見事に演じてくれました。
微妙な感情の揺れの表現力も素晴らしかったです。
きっと、脚本を書いたトッド・フィールド監督は、はじめからこの様子がイメージ出来ていたのではないでしょうか?
映画『tar/ター』ラストシーンの解説と映画の感想
映画は多方面から伝えたいことがあったでしょう。
私は、音楽の世界に詳しくありませんが、人がどんどん離れていく人間社会の縮図を見るようで、残念に感じました。
リディアは、音楽界での地位だけではなく、その他の社会的地位も家族、パートナーとのあり方など
全てをなくしました。
自業自得の側面もあります。
リディアが自分の地位を利用して追い詰めた教え子のクリスタが命を絶ちました。
ここからリディアの信頼は落ち、過去の横暴が次々と明るみに出ます。
権力を手にした人は、少なからず傲慢になるでしょう。
また、防衛に回るでしょう。
これが行き過ぎたことで、リディアはやっかみを受け、足を救われたように見受けられました。
音楽院でマックスを指導した時のSNSの映像は、反感を買いましたが、全部ではなく、切り取られたものでした。
リディアに権力がなくなると媚びへつらう人がいなくなり、味方までいなくなるという、人間社会にありがちなことが起こりました。
人はこんなにもあっ気なく手にしたものをなくすんだな、誰も残らなかったな、、、とガッカリしました。
私が最後にホッとしたのは、頂点からは転がり落ちたけど、それでも音楽に、指揮者としてずっと関わっていくんだ!というリディアを見ることができたからです。
ラストシーンには、えっ?と、びっくりしましたが、コスプレのゲーム音楽の集団が画面いっぱいに映りました。
このコスプレ姿は、彼らの礼儀ではリスペクトなのでは?
正装してコンサートを聴きに来たのだと思います。
ゲーム音楽は、クラッシック音楽とは違うかもしれませんが、リディアにとってはそこは問題ではなかったようです。
大好きな指揮で再出発できる!
ラストはリディア・ターの再出発の笑顔が見られました。
彼女が最高の場所へ上り詰めることができたのは類まれない才能だけではなかったと思います。
堂々としたプロデュース力を持っていました。
そして、人一倍努力を惜しみません。
ストイックに自分を追い込みます。
そのなかで、どう自分を演出するか!も忘れませんでした。
そんなリディアターが本当に実在したら、私はやっぱりファンになっていたことでしょう。
この記事が、映画『TAR/ター』をより深く知るための参考になれば嬉しいです。
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